スキップしてメイン コンテンツに移動

伊藤賢一さんの、Another Frameを聴く。


伊藤さんの作品を聴いて感じること。

それは「音楽」だと言うことです。

そんなこと当たり前じゃないかと言われるかもしれませんが、、、

そう思わせない作品が多いとは思いませんか?

また、ソロギターの作品というと、どうしてもギタリストによる、ギタリストのための作品というイメージがありますよね。

でも、伊藤さんの作品は明らかに違うと思います。



そして、伊藤さんのどの作品でも感じられるのですが、伊藤さんの音楽にある情景が私の琴線に響くんです。

うまく表現できませんが、自分の幼い頃の情景が思い浮かぶというか、辛かった頃を思い出すような不思議な感覚。

そして、暗さや、孤独感、物悲しさを感じさせながらも、どこかポジティブな何かを感じさせられるんです。

うまく伝えられないですが、伊藤さんの楽曲には絶望ではなく希望が根底にあるのではないかと。

メロディラインもとても普遍的なものでありながらも、どこか心に引っかかる何かがある。

それが伊藤さんのメロディラインだし、アレンジの妙なのだなと。



ぶっちゃけ、「Inner Midium」、「おかえり」、「道のりのどこか」、このキラーチューン三曲だけで十分といえる出来栄えだと思います。

それに期待を裏切らないアイリッシュチューンのCarolan’s Ramble to Cashel、ソリチュード二重奏、ジーン・マリー・レイモンド氏のカバーが添えられていますからね。

これだけでも、アルバムの品質の高さがわかります。



そして、伊藤さん自身がようやく「これが良い音です」と確信を持てたという、素晴らしい録音。

ギタリストとか、ソロギターの作品としてではなく、その他多くの音楽作品と同列で扱うべき作品だと思います。

これだけの品質の作品を聴いて同業他社はどう感じるのか。本音を聞いてみたいなと思ってしまいました。

最後にマホガニー的な観点では、1952年製のMartin D-18と、M.J. FranksのD-18 Legacy Dreadnought(サイドバックはキューバンマホガニー)も使われています!

Popular Posts

ショートスケールのアコギについて考える その③

ロングスケールのD-18GE(2004年)とショートスケールのOOO-18GE(2006年) 今回はショートスケールのデメリットについて、考えてみたいと思います。 ※過去記事はこちら ↓↓↓ 「 ショートスケールのアコギについて考える その① 」 「 ショートスケールのアコギについて考える その② 」 私が尊敬する中川イサト師匠、岸部眞明氏などなど。 ギターインストの世界では、変則チューニングを使われる方が多いですよね。 ギターは、チューニングを変えることで、演奏しやすくしたり、独創的な響きを作り出すことができる楽器ですので、その特性を活用しているわけですね。 でも、私にはそれが厳しかったりします。 なぜならば、これがショートスケールのデメリットだからです。 変則チューニングは、スタンダードチューニングから音階を落とした設定が基本になります。 というのも、ギターはスタンダードチューニングを前提に設計されているので、音階を上げるとテンションがきつくなって弦が切れたり、ギターに負荷がかかってしまうからです。 そのため、弦を緩めた時に、演奏できるだけのテンションを保てるのかが、変則チューニングでは重要になります。 変則チューニングにした場合、弦のテンションが強いロングスケールであれば問題はありませんが、ショートスケールだとテンションを保てない場合があります。 テンションを保てないと、弦の鳴りが弱くなりますし、チューニングも不安定になります。 定番のダドガド(DADGAD)やオープンG(DGDGBD)くらいであれば影響はないと思いますが、それ以上、チューニングを落とす場合は、厳しい場合もあります。 たった13ミリのスケールの違いで、響きや演奏性まで変わってくるからアコギは面白いのですが、、逆にそれだけシビアな世界ということでもあります。 個人的には、ショートスケールはメリットが多いと思っていますが、当然のことながらデメリットもあるわけで、アコギを選ぶ際には、その点に注意して頂きたいと思います。

伝説のブルースマンたちのギター。

伝説のブルースマン、ロバート・ジョンソン。このギターはカラマズーか? 伝説のブルースマンたちは、 どのようなギターを使っていたのでしょうか。 ブルースという音楽そのものが、 100 年以上の歴史があるわけで、 使われる多楽器も多種多様、 変わり続けています。 そう言った中で、 どれかひとつの楽器であったり、 ひとつのメーカーだけで、 このブルースという音楽を 代表させようという 考え方は、 どうしても無理があると思うのです。 でも、 アコースティックブルースに話を限定すると、 ギブソン=ブルースというイメージが 世の中的には強いのではないでしょうか。 これは間違いなく ロバート・ジョンソンの影響だと思うのです。 悪魔に魂を売り渡した、 とかはどうでもいい逸話ですが、 残されたギブソン L-1 を抱えた写真が あまりにもインパクトが強すぎるのです。 しかも、 ギブソンを抱えている写真が 残されているだけであり、 実際にレコーディングやライブで 使われていた楽器のデータが 残されているわけでもないのに。 ギブソンの 「Blues King」 なんて いかにもな ネーミングのギターも ありますけど、 ちょっとメーカーの イメージ戦略に煽られすぎな気も します。 では、 その他の伝説的なブルースマン達は どのようなギターを使っていたのでしょうか。 私の敬愛する ブラインド・ブレイク、 ブラインド・レモン・ジェファーソン、 ウィリー・マクテルなどは、 オスカー・シュミットが製造していた Stella というギターを使っていたと言われます。 (もちろん、こちらも諸説ありですが) その理由は、 安くて丈夫で 金物屋でも買えたという 身近さにあったようです。 言い方を変えると、 黒人のブルースマンたちでは、 マーティンやギブソンを買うことが 出来なかった ということでもあります。 おそらくこれは、 当時の人種差別や、 経済的な格差による影響が 大きかったからだろうと。 結果としてステラの音色が ブルースに適していたのは事実ですが、 どうしてもこの音色が欲しかったから ステラを選んだ訳ではなさそうだと 言うことかと。 で、このステラですが、 戦前のオリジナル・ステラと言われるもと、 戦後のものにわけられます。 戦後のステラは、 ハーモニー社に買収されてしまい、 全く別の楽器になってし

「Collings」の試奏で学んだこと。Martinの魅力を再認識。

「Collings OM2H Cutaway(1997年)」 実はつい最近まで、 コリングスを避けていました 。 なんとなく、本能的にですが、 近づいてはいけないと思っていたからです。 弦を緩めなくても問題がないくらい丈夫だし、 ピッチも驚くほど正確で、 これで音まで良かったらショックだなと。 もしかして、私のマーティン君たちが いらなくなってしまうのではないかと。 そして、実際に弾いてみると、 めちゃくちゃ音が良いんですよね。 本当にやばいです。 ただ、値段はマーティンよりも高いし、 ヘッドが角ばっているところが 好みではなかったりするのですが、 評判通り、いや、 評判以上の素晴らしいアコギですね 、 これは。 でも、コリングスを弾いてみて わかったことがあります。 それは、マーティンでしか 出せない音があるのだなということです。 最近のマーティンの音質について、 いろいろ言われる方も多いですし、 はっきり、くっきりした音を求め コリングスに行きつく方も多いとは思いますが、 「 音の優しさ、柔らかさ、甘さ 」 がマーティンの個性なんだな ということをあらためて認識させられました。 また、マーティン愛好家からは、 音が硬いと言われるコリングスですが、 2000年代の後半からは、 柔らかい音色へシフトしています。 また、1990年代のものは、 作られてから約20年が経過し、 良い感じに枯れてきているので、 今が良い頃合いかもしれませんね。 特に、「 3桁コリングス 」などと呼ばれる 製造番号が3ケタのものは、 現在のUV塗装とは異なり、 ラッカー塗装で仕上げられているので、 音質的にも有利ということもあって、 プレミアがついてきていますからね。 ちなみに、この画像は、友人が購入した 「OM2H Cutaway(1997年製)」です。 一緒にかなりの本数を試奏して 決めた一本でしたが、 「音色、演奏性、堅牢性」の三拍子が 揃った素晴らしいアコギでした。 ※Collings関連記事   「Collings」のすすめ  「Collings」を語る。シリーズ  その①:楽器としての魅力   その②:トラディショナルシリーズの誕生   その③:トラディショナルシリーズの評価   その④:マーティン・オーセン

マホガニー図鑑「YAMAHA 赤ラベル」 その①

「YAMAHA FG-180(1968年製)」 第二回にして、早くも番外編的なギターを取り上げてみたいと思います。 マホガニーの合板が使われた、国産初のアコースティックギター「YAMAHA FGシリーズ」こと、 通称「赤ラベル」です 。 ジャパンビンテージ と言われ、人気の高い赤ラベル(FG-180、FG-150)ですが、私はとても懐疑的でした。 現在もテリーズテリーで活躍されている方々が作られた単板のギターと言われればわからなくもないです。 でも、 サイドバックだけではなく、トップにまで合板が使われたギターから、ビンテージサウンドが出るわけがないと思っていたんです 。 そもそもこの 赤ラベルには、構造的な欠陥がある と考えていました。 それは ネックの仕込み角度に起因する弦高の高さ です。 当時は、コードストローク中心のプレイスタイルだったこともあり、弦高が高くても問題はないと考えられていたのかもしれません。 それでも、現代の水準では高すぎると思うし、それが経年変化することでネックが起き、さらに弦高が上がってしまった個体が多いんですよね。 その対応策として、サドルを削って弦高を下げるわけです。 でも、それによって弦のテンションが下がり、音質に悪い影響が出てしまうんです。 よく見かける赤ラベルは、このような状態のものばかりで、どれを弾いてもイマイチに感じられて、赤ラベルのビンテージサウンドなんてありえないと考えていたんです。 このFG-180と出会うまでは。 <関連記事> マホガニー図鑑「YAMAHA 赤ラベル」その① マホガニー図鑑「YAMAHA 赤ラベル」その② マホガニー図鑑「YAMAHA 赤ラベル」その③

ショートスケールのアコギについて考える その②

比較のため、友人から借りた「Martin OM-18GE(2003年)」です。 前回に引き続き、ショートスケールのアコギについて考えたいと思います。 ↓↓↓ 「 ショートスケールのアコギについて考える その① 」 今回は検証のために、下記の3本を弾き比べました。 ドレッドノート「D-18GE(2004年)」 OM「OM-18GE(2003年)」 トリプルオー「000-18GE(2006年)」 比較にあたって、可能な限り条件を揃えるために、製造された年代が近くて、トップにアディロンダックスプルース、サイドバックにマホガニーが使われたマーティンのゴールデンエラシリーズで揃えてみました。 ちなみに、ドレッドノートとOMはロングスケール、トリプルオーはショートスケールです。また、ボディサイズはドレッドが大きく、OMとトリプルオーは同じ大きさです。 1.ロングスケールのドレッドノートとOMの比較 ドレッドには力強さがあり、低音がとても豊かで、ストロークにまとまりがあります。 OMは、ドレッドよりも低音の量感が減って、スッキリとした印象を受けます。 それによって、音の粒立ちが明確になり、キレが出て、レスポンスも向上していますね。 この違いは、同じロングスケールでの比較なので、ボディサイズによるものだと考えられます。 2.ロングスケールのOMとショートスケールのトリプルオーの比較 OMは音に張りがあり、低音が前面に出てくる印象ですね。 トリプルオーは、OMと比べると低音が弱い印象はありますが、その分、音が太くて柔らかく、バランスも良く感じられます。 この違いは、同じボディサイズでの比較なので、スケールの違いによるものですね。 3.ロングスケールのドレッドノートとショートスケールのトリプルオーの比較 スケールの異なるものでの比較ですので、ご参考程度に。 ドレッドのまとまり感はストロークに向いていますが、このまとまり感や、強い低音によって、相対的にメロディラインが埋もれてしまいます。 一方、トリプルオーは、音の粒立ちがいい分、ストロークでは音にまとまりがでにくいですが、フィンガーピッキングでは、メロディを際立たせたり、音をコントロールしやすいですね。 ※ まとめ この違い