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そろそろギブソンでも語りますか。(その⑦:見過ごされがちな1960〜1962年製ギブソンの魅力)

  友人が所有していた1962年製のGibson J-45です。 このギブソン、見覚えのある方もいらっしゃるかも知れませんね。 そう、あの「沖縄アコギ好き親父さん」が所有されていたギターです。 ブログは こちら このダブルピックガードの面構えはインパクト抜群なので、一度見ただけでも忘れられなくなりますよね。 このブログ主さんとは何度か楽器店でお会いしたことがありまして、ブログなども通じていろいろなことを学ばせていただきました。 そういった中で、ブログ主さんが特にこだわりを持たれていたのがこの1960年から1962年までに製造されたJ-45だったんですよね。 スペックだけを見ると1950年代後半からナローネックになる前の1965年頃までの期間は、あまり変更点がないように思われるのですが、一体何が違うのでしょう。 ブログ主さんはこの年代の仕様について、このように述べられていました。 「ネック形状も、この頃は薄目で、手に吸い付くような素晴らしい弾き心地です。」 「音質は軽やかで柔らかく、他の年代のアジャスタブルサドルの音のような金属的なジャキジャキ感が幾分抑えられた感じです。」 なるほど、ネックの形状と音色に秘密がありそうですね。 それではネックの形状から見ていきましょう。 ヴィンテージのギブソンというと、基本的に肉厚なネックの印象がありますよね。 特に1940年代のヴィンテージは、ベースボールバットと揶揄されるほどびっくりするような太さだったりもします。 1950年代になるとそれよりもずいぶんマシ(細く)になってはいるのですが、それでもそれなりの太さだったりもします。 それと比べると1960〜1962年のものは明らかに細身に作られているんですよね。 細いと言うと、ナローネックと呼ばれる1965年以降のエレキギター並みの細さを想像される方がいらっしゃるとは思いますが、それとは異なります。 細すぎず太すぎず、適度な厚さがあり、私個人としても絶妙なグリップ感だなと感じています。 マーティン愛好家の私からすると、ギブソンの中ではもっともマーティン寄りな形状と表現できるかなと思ったりもしています。 そういったネックの形状にばかりに注目が行きやすいこの年代のギブソンではありますが、、、 実はこの細身のネック形状こそが、この年代のギブソンの音色に大きな影響を与えているのではな...

そろそろギブソンでも語りますか。(その⑥:1950年代後半の仕様に関する補足)

  ※Blue-Gさんの動画です。弾き手の力量による部分が大きいですが、1950年代後半のギブソンの表現力の幅広さがよく伝わるのではないかと思います。 前回、1950年代後半のギブソンは「弾いている自分に良い音が聞こえやすいのではないか」という仮説を記事にさせていただきました。 これは私の極めて個人的な感じ方なので、読者の方々から共感を得にくいかなとは思ってはいましたが、内容的にもちょっと詰めが甘かったなと反省する部分もありました。 そして、さらにいろいろと考えているうちに、自分の中でもそこから新たに閃いたこともありましたので、ちょっとこの仮説を補足しておこうと考えました。 それは、1950年代後半のギブソンの音のバランスにこそ秘訣があるのではないかということです。 一般的にもそうですし、私自身の経験でも感じている音の傾向としては、1950年代前半までのものと比べて、1950年代後半のものは低音と高音域が減少していて、中音域に寄った音に変化しています。 これはスキャロップブレーシングの廃止やアジャスタブル・サドルの導入による影響が大きいのでしょうね。 この変化をいろいろな人が、いろいろな言葉で表現されているのですが、よくあるのが、 ・50年代前半の方がローもハイも出ているから良いギターだ ・50年代後半はいかにもアコギらしい魅力的な中音域が凝縮された良いギターだ と言ったところでしょうか。 大体、自分の持っているギターを褒めている場合が多いのですが(笑)、結局のところ同じこと言っているんですよね。 どちらも50年代後半は低域と高域が減少してると言っているだけで、要は個人の嗜好と使い方の問題なんですよね。 ギターの良し悪しを低音から高音までの周波数特性の面積で評価するのであれば、そりゃあ、50年代前半、40年代のスクリプトバナー、プリウォーと古ければ古いほど面積が広いのかもしれません。 でも、実際にどんな音楽、演奏で使うのかと言った観点でみると、必ずしも周波数特性の面積が広ければ優れたギターであるというわけでもないんですよね。 歌を邪魔しない、バンドサウンドの中でも埋もれないと言った音が必要なのであれば、魅力的な中音域さえあれば低域も高域もそこまで必要ではないわけですからね。 これはバンドでMartin D-45を使った場合にありがちな「シャリシャリした倍音ば...

そろそろギブソンでも語りますか。(その⑤:1950年代後半の仕様が理想的と考える理由)

NHK紅白歌合戦での星野源さんの使用ギターGibson J-50(1947〜1955年製) 前回の記事の中で、我々のようなギター愛好家がギブソンらしさを感じられるか否かは「弾き手に聞こえる音の良し悪しで決まるのではないか」という仮説を立てました。 なかなか伝わりにくい表現だったかと思いますので簡潔に書いてしまいますと「弾き手にギブソンの音が聞こえるか」というのが最大のポイントではないかと考えています。 この「弾き手に」というのが、実はとても重要だったりします。 というのもギターという楽器は、弾き手側に聞こえている音色と、聞き手側に聞こえている音色が、同じではないからです。 例えばマーティンなら1970年代のD-45、ギブソンではJ-200など、楽器の前方(聞き手側)に音が飛ぶものがあるんですよね。 音が前に飛ぶという感覚がわからない方もいらっしゃるとは思いますが、音がロスすることなく前方に飛んでいくイメージです。 そのため、前方(聞き手側)にはめちゃくちゃ良い音が届くのですが、弾き手本人には良い音が聞こえていなかったりすることがあるんです。 聞き手には良い音を届けられるので、ギターの目的としては十分に果たせているのですが、それでは演奏していてつまらないですよね。 特に、趣味としてのギターとなると、自分自身にも良い音で聞こえてほしいものです。 そして、個体差が大きいと言われるギブソンを様々な年代や個体を弾き比べているうちに、単なる音色の違いだけではないことに気付いたのです。それは、、、 「聞き手に届く音と、弾き手に聞こえる音のバランスにも大きな個体差がある」ということです。 つまり、当たり個体だといっても、弾いている自分に良い音が聞こえる当たり個体と、聞き手に良い音が届く当たり個体、そして両方とも優れた当たり個体があるわけです。 個人的な経験則でいくと、1960年代までのヴィンテージであれば、聞き手にギブソンらしい良い音が届くギターは数多く存在すると感じています。 その中でも特に1940年代のスクリプトバナー期や、1950年代前半までのスモールガード期などは、音色は素晴らしいものが多いですが、音が前方に飛ぶものが多いように感じています。 ※これも仮説ですが、素晴らしい音を前方に飛ばすこととのトレードオフで、弾き手に良い音が届きにくくなっているのではないかと感じています...

そろそろギブソンでも語りますか。(その④:理想的なギブソンサウンド、1950年代後半)

  今回は1950年代後半のギブソンのお話になります。 上記は動画は私が理想とするフラットピッキングでのギブソンサウンド、Gillian Welch(ギリアン・ウェルチ)の演奏です。1958年製のJ-45を使用しています。 結論から言うと、世間一般的には、この時期こそが最もギブソンらしい音色だと考えられているのではないでしょうか。 かく言う私自身もそう感じていたので、片っ端から試奏をしていた時期もあったりします。 この時期のギブソンですが、1950年代前半と比較すると、ピックガードが大きなものに変更されていることから、ラージガード期と呼ばれています。 その他の変更点としては、ギター内部を支える力木(ブレーシング)がノンスキャロップに変更されたこと、そしてアジャスタブルサドルの登場があげられます。 ノンスキャロップによる仕様変更は、音色の芯の強さや響きの直進性に影響があるように感じています。 これもいわゆるギブソンらしさを形成する大きな要素かもしれませんね。 ただ、ノンスキャロップなんて他にいくらでもありますから、これがギブソンらしさを決定づける要素ではないと考えられます。 ではギブソンが発明したアジャスタブル・サドルこそがギブソンらしさの肝なのか?と言われると、そうとも言えますし、そうでないとも言えます。 アジャスタブル・サドルの効果として、ピッキング時のジャキジャキしたアタック感を強調してくれるので、ギブソンらしさを強調してはくれるものの、、、 驚くことに、アジャスタブル・サドルではない同じ年式のギブソンを弾いても、これに近いニュアンスを感じられる個体が結構あるんですよね。 つまり、アジャスタブルサドルは音色を変化させる一因ではあるものの、この年代のギブソンらしい音色を決定付ける絶対的な要素とまでは言えないということなんですよね。 ましてや、録音した音を聞いてみると、そこまでの明確な違いを見つけることは難しかったりしますからね。 そしてぶっちゃけ、録音してしまえばどれもギブソンの音がします笑 特に1950年代前半と後半をブラインドテストで確実に聞き分けるなんてかなりの難易度なのではないでしょうか。 もちろん自分で弾けば違いはわかると思いますが、あくまでもブラインドテストで録音したものを聴き比べした場合に判断できるのかという話です。 ここまで散々、ギブソン感...

そろそろギブソンでも語りますか。(その③:友人がスクリプトバナーのJ-45を手放した理由)

  友人が所有していたスクリプトバナー期のJ-45です。 誰かは言えませんが、プロのミュージシャンが所有していた個体だそうで、リペア箇所は多かったのですが、その分、セットアップは完璧で実に素晴らしいギターでした。 友人もかなり気に入っていたのですが、結局は手放す結果となってしまったんですよね。 その辺りが、私が語りたいと思っているテーマに合っていると思いましたので、題材として取り上げてみようかと思います。 ちなみに、スクリプトロゴに「ONLY A GIBSON IS GOOD ENOUGH(満足できるのはギブソンだけ)」と書かれていたことから、スクリプトバナー期とかバナーヘッドと呼ばれています。 時期としては諸説ありますが、1942年から1946年頃に製作されたモデルにあたります。 スキャロップ加工に、アジャスタブルではない一般的なサドル、また薄くて小ぶりなピックガードなど、アコースティックギターの音響としては合理的な仕様となっています。 なぜ、このようなアコギとしてごく普通の仕様を「合理的」などと書いているのかというと、これ以降、どう考えても音が悪くなるであろう仕様変更をギブソンが繰り返していく歴史があるからなんですよね。。。 ですので、ギブソンを手に入れるのであれば、このバナー期かスキャロップされていた1950年代前半までのスモールガード期と言われるJ-45またはJ-50がアコギとして合理的であり、望ましい仕様であると考えていました。 でも友人は、そんな理想的なはずのバナー期のギブソンを手放したんですよね。不思議でなりません。 そこで、友人に手放した理由を尋ねてみました。すると、、、 「もっと安いギブソンでも自分が求めるギブソンの音はだせると思ったから」 また、 「あのバナーの音は、弾き語りをする人には最高だけど、弾き語りに使うギターならもっと安くて良いものがあるだろう」 とも。 このような実際に所有し、じっくり時間をかけて弾き込んだ人の意見は、とても説得力がありますよね。 さらには実際に所有し、所有欲が満たされたからこそ見えてくる景色があるのかもしれません。 要はギターとしては素晴らしいが、用途によってはもっと合うものがあるのではないか、そして用途を限定するのであればもっと安価で実現できる、そういった結論だったわけです。 私が弾かせてもらった感想として...