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Collings最新作、Hill Country(ヒルカントリー)を試奏しました。

東京お茶の水のHobo'sさんにコリングスの最新作「Hill Country」が入荷したと聞きましたので、早速試奏させていただいたと言うお話です(もう、Sold Outのようですが) 今回試奏したのはドレッドノートのD-1A HCというモデルになります。 故ビル・コリングスがお気に入りだったと言うトップがアディロンダックスプルース、サイドバックがマホガニーのドレッドノートですね。 メーカー情報では、、、 「温かみと木の温もりを併せ持ち、力強い基音を極限まで追求したアコースティックギターです」 「ドライなキャラクターと豊かな低音域を持つこれらのギターは、特にブルーグラス奏者にとって馴染み深く、どんなジャムセッションにもぴったりです」 「レスポンスの良さと温かみは、幅広いスタイルにマッチする汎用性の高さと魅力を備えています」 いつも通り、わかるようで、わからない笑 まぁ、ここから読み取れる情報としては、コリングスらしい基音の強さがあり、ブルーグラスに合う音作りなのかなといったところでしょうか。 そして、第一印象ですが、、、 試奏して最初に感じたのは、なんて「漢」なギターなんだと言うことでした。 私のへなちょこフィンガーピッキングが、いとも簡単に弾き返されてしまいます。 大概、こういうドレッドノートは良いドレッドノートの場合が多いんですよね。 少し弾き続けるとこのギターの鳴らし方の感覚は掴めてきますが、 この圧倒的な「強い」感覚はかなり個性的ですね。 その一方、フラットピックに持ち替えると気持ちよくギターが反応してくれます。 どれだけ強く弾いても負けることなく反応しますし、弱音でも音色に芯があり、楽器としての表現力とダイナミックレンジがとても広いと感じました。 そして最大の特徴とも言えるのが、音がとても「ドライ」なことなんです。 いわゆる、枯れた音ですね。 と言いつつ、ちなみに私はこの枯れた音という表現が好きではなかったりします。 というのも、よくヴィンテージを枯れた音と表現することがありますが、、、 大概は、鳴らない楽器や音が篭っている楽器の売り文句として使われていることが多いように感じているからです (これを悪い意味での乾いた音と定義したいと思います) 一方、このヒルカントリーは、楽器としての鳴り、そしてヌケ感が群を抜いてすごかったのですよね。 まさに良い意味...

そろそろギブソンでも語りますか。(その⑦:見過ごされがちな1960〜1962年製ギブソンの魅力)

  友人が所有していた1962年製のGibson J-45です。 このギブソン、見覚えのある方もいらっしゃるかも知れませんね。 そう、あの「沖縄アコギ好き親父さん」が所有されていたギターです。 ブログは こちら このダブルピックガードの面構えはインパクト抜群なので、一度見ただけでも忘れられなくなりますよね。 このブログ主さんとは何度か楽器店でお会いしたことがありまして、ブログなども通じていろいろなことを学ばせていただきました。 そういった中で、ブログ主さんが特にこだわりを持たれていたのがこの1960年から1962年までに製造されたJ-45だったんですよね。 スペックだけを見ると1950年代後半からナローネックになる前の1965年頃までの期間は、あまり変更点がないように思われるのですが、一体何が違うのでしょう。 ブログ主さんはこの年代の仕様について、このように述べられていました。 「ネック形状も、この頃は薄目で、手に吸い付くような素晴らしい弾き心地です。」 「音質は軽やかで柔らかく、他の年代のアジャスタブルサドルの音のような金属的なジャキジャキ感が幾分抑えられた感じです。」 なるほど、ネックの形状と音色に秘密がありそうですね。 それではネックの形状から見ていきましょう。 ヴィンテージのギブソンというと、基本的に肉厚なネックの印象がありますよね。 特に1940年代のヴィンテージは、ベースボールバットと揶揄されるほどびっくりするような太さだったりもします。 1950年代になるとそれよりもずいぶんマシ(細く)になってはいるのですが、それでもそれなりの太さだったりもします。 それと比べると1960〜1962年のものは明らかに細身に作られているんですよね。 細いと言うと、ナローネックと呼ばれる1965年以降のエレキギター並みの細さを想像される方がいらっしゃるとは思いますが、それとは異なります。 細すぎず太すぎず、適度な厚さがあり、私個人としても絶妙なグリップ感だなと感じています。 マーティン愛好家の私からすると、ギブソンの中ではもっともマーティン寄りな形状と表現できるかなと思ったりもしています。 そういったネックの形状にばかりに注目が行きやすいこの年代のギブソンではありますが、、、 実はこの細身のネック形状こそが、この年代のギブソンの音色に大きな影響を与えているのではな...

そろそろギブソンでも語りますか。(その⑥:1950年代後半の仕様に関する補足)

  ※Blue-Gさんの動画です。弾き手の力量による部分が大きいですが、1950年代後半のギブソンの表現力の幅広さがよく伝わるのではないかと思います。 前回、1950年代後半のギブソンは「弾いている自分に良い音が聞こえやすいのではないか」という仮説を記事にさせていただきました。 これは私の極めて個人的な感じ方なので、読者の方々から共感を得にくいかなとは思ってはいましたが、内容的にもちょっと詰めが甘かったなと反省する部分もありました。 そして、さらにいろいろと考えているうちに、自分の中でもそこから新たに閃いたこともありましたので、ちょっとこの仮説を補足しておこうと考えました。 それは、1950年代後半のギブソンの音のバランスにこそ秘訣があるのではないかということです。 一般的にもそうですし、私自身の経験でも感じている音の傾向としては、1950年代前半までのものと比べて、1950年代後半のものは低音と高音域が減少していて、中音域に寄った音に変化しています。 これはスキャロップブレーシングの廃止やアジャスタブル・サドルの導入による影響が大きいのでしょうね。 この変化をいろいろな人が、いろいろな言葉で表現されているのですが、よくあるのが、 ・50年代前半の方がローもハイも出ているから良いギターだ ・50年代後半はいかにもアコギらしい魅力的な中音域が凝縮された良いギターだ と言ったところでしょうか。 大体、自分の持っているギターを褒めている場合が多いのですが(笑)、結局のところ同じこと言っているんですよね。 どちらも50年代後半は低域と高域が減少してると言っているだけで、要は個人の嗜好と使い方の問題なんですよね。 ギターの良し悪しを低音から高音までの周波数特性の面積で評価するのであれば、そりゃあ、50年代前半、40年代のスクリプトバナー、プリウォーと古ければ古いほど面積が広いのかもしれません。 でも、実際にどんな音楽、演奏で使うのかと言った観点でみると、必ずしも周波数特性の面積が広ければ優れたギターであるというわけでもないんですよね。 歌を邪魔しない、バンドサウンドの中でも埋もれないと言った音が必要なのであれば、魅力的な中音域さえあれば低域も高域もそこまで必要ではないわけですからね。 これはバンドでMartin D-45を使った場合にありがちな「シャリシャリした倍音ば...

そろそろギブソンでも語りますか。(その⑤:1950年代後半の仕様が理想的と考える理由)

NHK紅白歌合戦での星野源さんの使用ギターGibson J-50(1947〜1955年製) 前回の記事の中で、我々のようなギター愛好家がギブソンらしさを感じられるか否かは「弾き手に聞こえる音の良し悪しで決まるのではないか」という仮説を立てました。 なかなか伝わりにくい表現だったかと思いますので簡潔に書いてしまいますと「弾き手にギブソンの音が聞こえるか」というのが最大のポイントではないかと考えています。 この「弾き手に」というのが、実はとても重要だったりします。 というのもギターという楽器は、弾き手側に聞こえている音色と、聞き手側に聞こえている音色が、同じではないからです。 例えばマーティンなら1970年代のD-45、ギブソンではJ-200など、楽器の前方(聞き手側)に音が飛ぶものがあるんですよね。 音が前に飛ぶという感覚がわからない方もいらっしゃるとは思いますが、音がロスすることなく前方に飛んでいくイメージです。 そのため、前方(聞き手側)にはめちゃくちゃ良い音が届くのですが、弾き手本人には良い音が聞こえていなかったりすることがあるんです。 聞き手には良い音を届けられるので、ギターの目的としては十分に果たせているのですが、それでは演奏していてつまらないですよね。 特に、趣味としてのギターとなると、自分自身にも良い音で聞こえてほしいものです。 そして、個体差が大きいと言われるギブソンを様々な年代や個体を弾き比べているうちに、単なる音色の違いだけではないことに気付いたのです。それは、、、 「聞き手に届く音と、弾き手に聞こえる音のバランスにも大きな個体差がある」ということです。 つまり、当たり個体だといっても、弾いている自分に良い音が聞こえる当たり個体と、聞き手に良い音が届く当たり個体、そして両方とも優れた当たり個体があるわけです。 個人的な経験則でいくと、1960年代までのヴィンテージであれば、聞き手にギブソンらしい良い音が届くギターは数多く存在すると感じています。 その中でも特に1940年代のスクリプトバナー期や、1950年代前半までのスモールガード期などは、音色は素晴らしいものが多いですが、音が前方に飛ぶものが多いように感じています。 ※これも仮説ですが、素晴らしい音を前方に飛ばすこととのトレードオフで、弾き手に良い音が届きにくくなっているのではないかと感じています...