友人が所有していたスクリプトバナー期のJ-45です。
誰かは言えませんが、プロのミュージシャンが所有していた個体だそうで、リペア箇所は多かったのですが、その分、セットアップは完璧で実に素晴らしいギターでした。
友人もかなり気に入っていたのですが、結局は手放す結果となってしまったんですよね。
その辺りが、私が語りたいと思っているテーマに合っていると思いましたので、題材として取り上げてみようかと思います。
ちなみに、スクリプトロゴに「ONLY A GIBSON IS GOOD ENOUGH(満足できるのはギブソンだけ)」と書かれていたことから、スクリプトバナー期とかバナーヘッドと呼ばれています。
時期としては諸説ありますが、1942年から1946年頃に製作されたモデルにあたります。
スキャロップ加工に、アジャスタブルではない一般的なサドル、また薄くて小ぶりなピックガードなど、アコースティックギターの音響としては合理的な仕様となっています。
なぜ、このようなアコギとしてごく普通の仕様を「合理的」などと書いているのかというと、これ以降、どう考えても音が悪くなるであろう仕様変更をギブソンが繰り返していく歴史があるからなんですよね。。。
ですので、ギブソンを手に入れるのであれば、このバナー期かスキャロップされていた1950年代前半までのスモールガード期と言われるJ-45またはJ-50がアコギとして合理的であり、望ましい仕様であると考えていました。
でも友人は、そんな理想的なはずのバナー期のギブソンを手放したんですよね。不思議でなりません。
そこで、友人に手放した理由を尋ねてみました。すると、、、
「もっと安いギブソンでも自分が求めるギブソンの音はだせると思ったから」
また、
「あのバナーの音は、弾き語りをする人には最高だけど、弾き語りに使うギターならもっと安くて良いものがあるだろう」
とも。
このような実際に所有し、じっくり時間をかけて弾き込んだ人の意見は、とても説得力がありますよね。
さらには実際に所有し、所有欲が満たされたからこそ見えてくる景色があるのかもしれません。
要はギターとしては素晴らしいが、用途によってはもっと合うものがあるのではないか、そして用途を限定するのであればもっと安価で実現できる、そういった結論だったわけです。
私が弾かせてもらった感想としても、やはり優秀なギターという印象で、レスポンスが速いとか低音が凄いとか色々な表現もできるのですが、簡潔に言うと「奥田民生の音」そのものでした。
そして、ギブソンというイメージを超えた様々な用途で使えそうな能力があるとも感じました。
ただ、ギターインストで使えなくはないが、やはり弾き語りに向いた特性ではありました。
また、肝心のギブソン感については十分に感じられたものの、ギブソン特有のコンプレス感は弱く、低域も高域も伸びているので、総合するととても優秀で使い勝手の良いラージサイズのマホガニーのギターといった印象でしたね。
そしてここで私は気がついたのです。
このような優等生のギブソンではなく、もっとコンプレスが効いていて、レンジが中域に偏っているクセの強い音、それこそが自分の求めるギブソンの音なのではないかと。
特にマーティンが好きな私としては、マーティンではできないこと、出せない音をギブソンに求めるわけですからね。
ちなみに、私的には1950年代前半までのスモールガード期のギブソンもバナー期に近い感覚を持っています。
この二つを一緒にするなとご指摘を受けるかもしれませんが、どちらもギブソンという範疇だけでは語りきれないとても優秀なギターが多い印象なんですよね。
でも前述の通り、私が欲しいのは優等生のギブソンではなく、使い勝手の悪い、でもハマるととてつもない魅力を発揮するようなクセの強いギブソンなんですよね。
きっとそれは、私のようなマーティン愛好家が持つギブソンという位置付けだからであって、他の方とは考え方、価値観が違うことも多々あるとは思いますが。
そして、余計な低域も高域もいらない、欲しいのはコンプ感のある濃密な中音域、という目標が明確になったところで、私のギブソン探しの旅は一気に加速していきました。
次回は1950年代後半のギブソンについてお話をしていきたいと思います。