ギブソンを語るにあたって、その前にどうしても語っておきたいことがあるんですよね。
それは、以前所有していた1935年製のL-00をなぜ手放したのか、その理由です。
ぶっちゃけ、今持っていれば当時と比べて倍以上の価格になっているので、残しておけば良かったなというのが本音ではありますが、やはり手放したのにはそれなりの理由があります。
それは自分が思い描くギブソンサウンドとのギャップでした。
もちろんL-00からもギブソンらしさというものは感じられたのですが、あくまで私がイメージするギブソンサウンドとは異なったという意味です。
そもそもL-00はハンドクラフト感の強い時代のギブソンで、現代でも通用するハイエンドなアコースティックギターに求められる要素が、かなりの高次元で備わっているギターでした。
特にフィンガースタイルでのギターにて際立つメロディライン。アコースティックギターの魅力を凝縮したような力強い単音がとても魅力でした。
そしてマーティンで言うところのダブルオーとトリプルオーを組み合わせたかのようなボディサイズからくる絶妙なコード感とリバーブ感。
以前も「ギブソンの職人恐るべし」と評価した記憶がありますが、本当に素晴らしいギターだったと思います。
でも、実際に所有して弾き込んでいくうちに、楽器として優れていることと、自分がギブソンに求めるもの(音色)が別物だということに気付いたんですよね。
そして、この戦前のL-00を手に入れたことで気付かされた感覚がありました。それは、古いものほど良い、高いものほど良いという先入観です。
例えば、戦前という言葉だけでL-00やL-1などは絶対にいい音がしそうな気がしてしまいますし、J-45の場合はプレミアムな1940年代のスクリプトバナーの方が何となく優れている気がしちゃうんですよね。
でもギブソンに関しては必ずしもそうではなく、年代ごとに強い特徴があるのだということを実際に所有したことで気付かされたわけです。
今にして思えば私にとってのギブソンサウンドの探究は、このL-00を手放した時から始まっていたのかもしれません。