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NHK紅白歌合戦での星野源さんの使用ギターGibson J-50(1947〜1955年製) |
前回の記事の中で、我々のようなギター愛好家がギブソンらしさを感じられるか否かは「弾き手に聞こえる音の良し悪しで決まるのではないか」という仮説を立てました。
なかなか伝わりにくい表現だったかと思いますので簡潔に書いてしまいますと「弾き手にギブソンの音が聞こえるか」というのが最大のポイントではないかと考えています。
この「弾き手に」というのが、実はとても重要だったりします。
というのもギターという楽器は、弾き手側に聞こえている音色と、聞き手側に聞こえている音色が、同じではないからです。
例えばマーティンなら1970年代のD-45、ギブソンではJ-200など、楽器の前方(聞き手側)に音が飛ぶものがあるんですよね。
音が前に飛ぶという感覚がわからない方もいらっしゃるとは思いますが、音がロスすることなく前方に飛んでいくイメージです。
そのため、前方(聞き手側)にはめちゃくちゃ良い音が届くのですが、弾き手本人には良い音が聞こえていなかったりすることがあるんです。
聞き手には良い音を届けられるので、ギターの目的としては十分に果たせているのですが、それでは演奏していてつまらないですよね。
特に、趣味としてのギターとなると、自分自身にも良い音で聞こえてほしいものです。
そして、個体差が大きいと言われるギブソンを様々な年代や個体を弾き比べているうちに、単なる音色の違いだけではないことに気付いたのです。それは、、、
「聞き手に届く音と、弾き手に聞こえる音のバランスにも大きな個体差がある」ということです。
つまり、当たり個体だといっても、弾いている自分に良い音が聞こえる当たり個体と、聞き手に良い音が届く当たり個体、そして両方とも優れた当たり個体があるわけです。
個人的な経験則でいくと、1960年代までのヴィンテージであれば、聞き手にギブソンらしい良い音が届くギターは数多く存在すると感じています。
その中でも特に1940年代のスクリプトバナー期や、1950年代前半までのスモールガード期などは、音色は素晴らしいものが多いですが、音が前方に飛ぶものが多いように感じています。
※これも仮説ですが、素晴らしい音を前方に飛ばすこととのトレードオフで、弾き手に良い音が届きにくくなっているのではないかと感じています。
一方、弾いている自分に良い音が聞こえるギブソンは、1950年代後半に多く存在するのではないのかと考えています。
※こちらの場合は、弾き手に良い音を届きやすくした分、前方への飛びが減っている印象です。ただし、これにより音が減衰しやすくなったためか、ギブソンらしいミッドレンジの魅力がより際立つようになったと感じています。
ギブソンが聞き手と弾き手の音のバランスを考えて仕様変更をしたなんてことはとても考えられませんが、偶然にもこの1950年代後半の仕様に変更したことで、弾き手に良い音が届きやすくなる結果を産んだのではないでしょうか。
またそのバランスの良さこそが、1950年代後半のギブソンの人気の高さに表れているのではないかと個人的には考えています。
もちろん、目的に合っているのであれば、弾き手側に良い音が聞こえなくても良いと思いますが、少なくとも私は自分に良い音が聞こえるギターが欲しいと考えますので、この仕様が望ましいという結論になります。
などと1950年代後半の仕様を褒めつつも、私が購入したギブソンは1950年代後半ではない・・・という話を次回にでも。