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そろそろギブソンでも語りますか。(その⑥:1950年代後半の仕様に関する補足)

  ※Blue-Gさんの動画です。弾き手の力量による部分が大きいですが、1950年代後半のギブソンの表現力の幅広さがよく伝わるのではないかと思います。 前回、1950年代後半のギブソンは「弾いている自分に良い音が聞こえやすいのではないか」という仮説を記事にさせていただきました。 これは私の極めて個人的な感じ方なので、読者の方々から共感を得にくいかなとは思ってはいましたが、内容的にもちょっと詰めが甘かったなと反省する部分もありました。 そして、さらにいろいろと考えているうちに、自分の中でもそこから新たに閃いたこともありましたので、ちょっとこの仮説を補足しておこうと考えました。 それは、1950年代後半のギブソンの音のバランスにこそ秘訣があるのではないかということです。 一般的にもそうですし、私自身の経験でも感じている音の傾向としては、1950年代前半までのものと比べて、1950年代後半のものは低音と高音域が減少していて、中音域に寄った音に変化しています。 これはスキャロップブレーシングの廃止やアジャスタブル・サドルの導入による影響が大きいのでしょうね。 この変化をいろいろな人が、いろいろな言葉で表現されているのですが、よくあるのが、 ・50年代前半の方がローもハイも出ているから良いギターだ ・50年代後半はいかにもアコギらしい魅力的な中音域が凝縮された良いギターだ と言ったところでしょうか。 大体、自分の持っているギターを褒めている場合が多いのですが(笑)、結局のところ同じこと言っているんですよね。 どちらも50年代後半は低域と高域が減少してると言っているだけで、要は個人の嗜好と使い方の問題なんですよね。 ギターの良し悪しを低音から高音までの周波数特性の面積で評価するのであれば、そりゃあ、50年代前半、40年代のスクリプトバナー、プリウォーと古ければ古いほど面積が広いのかもしれません。 でも、実際にどんな音楽、演奏で使うのかと言った観点でみると、必ずしも周波数特性の面積が広ければ優れたギターであるというわけでもないんですよね。 歌を邪魔しない、バンドサウンドの中でも埋もれないと言った音が必要なのであれば、魅力的な中音域さえあれば低域も高域もそこまで必要ではないわけですからね。 これはバンドでMartin D-45を使った場合にありがちな「シャリシャリした倍音ば...